レ・ミゼラブル

 

T 愛と赦し

 

 「ああ無情」は、子どもの頃に読んだことがある方が多いのではないだろうか?原題は、「レ・ミゼラブル」、文豪ヴィクトル・ユーゴーによって1862年に発表された大河小説である。ジャン・バルジャンという男が、パンを盗んだ罪で19年間服役した後、仮出所するが、生活に行き詰まり、再び盗みを働いてしまう。その罪を見逃し赦してくれた司教の真心にふれた彼は、身も心も生まれ変わろうと決意し、過去を捨て、市長となるまでの人物になっていくのだが…。

 

 この「レ・ミゼラブル」はミュージカルの作品として1985年の初演以来、ロンドンで27年間にわたり上演が続いている。今回紹介する映画は、そのミュージカルの最高峰を一流の役者と制作者たちによってそっくりスクリーンの中に封じ込めたものだ。トム・フーパー監督のこだわりは、実際に出演者が歌いながら撮影する方法。ふつう、ミュージカル映画の撮影は、事前に歌をレコーディングしておき、その歌に合わせて口パクで演技するものらしい。しかし、役者の感情のほとばしりを歌声にのせたいという監督の意向で、全編ライブでの撮影を敢行した。

 

 物語は、大きく2つの部分からなる。前半は、司教に出会って改心し、人徳と財力を備えたジャン・バルジャン(ヒュー・ジャックマン)と“法が全て”という信念のもと市長となった彼を疑いとことん追い続ける冷酷なジャベール警部(ラッセル・クロウ)との確執。そして、後半はバルジャンから深い愛情を注がれ美しい娘に成長したコゼット(アマンダ・サイフリット)と彼女に一目ぼれをしたが革命に身を投じるマリウス(エディ・レッドメイン)との愛の行方である。

 

 この作品は、抑圧から解放され贖罪へと流れる良く知られた物語を、時代背景を写した衣装と感情を揺さぶられるような歌で表現してゆくのだが、壮大な山々やパリの街並みの描写、そして下水道の不潔な様子など、映画でしか味わえない視覚効果も存分に生かし、躍動的で目を見張るような映像がくり広げられる。

 

 さて、銀の燭台を盗んだバルジャンをミリエル司教は「ゆるす」のだが、これは漢字で書くと「許す」ではなく「赦す」の方だという。私たちがふだん知っている、また行っている「ゆるす」は、許可の方で、この「許す」のポイントは「裁量権が自分にあること」だそうだ。あいつのことは気に食わないけれども、腹立たしいけれども、しかしこちらが我慢して済むのなら、事を荒立てずに容認しよう・・・。それは、「わたしがお目こぼししてあげる」という、上から見下ろす発想に基づいている。

 これに対して、「赦す」は、丸ごと相手を受け入れることだという。この漢字のもともとの意味は、「罪を捨て置く」ということである。そこには、「わたしの裁量権」は出てこない。「仕方がないな」の「許し」ではなく、愛による真心からの「赦し」なのだ。こちらの「赦す」は、赦されるものに慰めと“よりよく生きたい”という思いを起こさせ、赦すものに心のゆとりと更なる成長の機会を与えてくれる。

 

 絶望的な環境にあっても明日を信じ、今日を懸命に生き抜く人々の姿を描き出し、さまざまな形の愛が数々の名場面をつくり出していくこの物語。魂にふれ、あなたの心を突き動かすような映画にはそうそう出会えない。ジャン・バルジャンの人生から、困難に立ち向かう勇気と未来への希望を少し分けてもらえた気分になれた。ありがたい。(G)

 

2012年・英・158分 東宝東和配給

 

 

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