ブラック・スワン

 

完璧主義

 

「白鳥の湖」は、「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」とならんで三大バレエと呼ばれる作品のひとつである。清らかで優しいオデット姫が、悪魔に呪いをかけられ白鳥の姿に変えられてしまう。そして、真実の愛だけがその呪いを解くことができる。ジークフリート王子は、月の光の下でのみ人間の姿にもどるオデット姫と恋に落ちる。しかし、悪魔の娘でオデットと瓜二つのオディールが、ジークフリートの前に現れ、王子をだまし誘惑する。

 

この作品では、オデット(白鳥)とオディール(黒鳥)を同じバレリーナが演じる。全く性格の違う二つの役を一人で踊り分けるのはとても難しいことであり、純粋さと人を惑わすほどの魅力を表現する必要があり、技術的にも体力的にも秀でたものが求められる。

 

ニュー・ヨークのあるバレエ団がこの名作を新しいシーズンの演目として選び、主役バレリーナにニナ(ナタリー・ポートマン)が選ばれた。人一倍の努力家で、何事もきちんとこなさないと気が済まないニナにとって、純粋無垢で麗しい白鳥のオデットはうまく踊れるのだが、妖艶で悪の化身である黒鳥のオディールを演じるのは至難の業であった。周囲の期待とプレッシャーが積み重なり精神的に追い込まれてゆく中、ニナは幻覚とも現実とも判別できない不思議な出来事を体験するようになってゆく。

厳しく演技を求めるバレエ団の監督も、若く自由奔放なライバルのバレエダンサーも、同居する過干渉な母親も、それぞれがニナにとっては大きな脅威であり、彼女を悩ませ続ける存在であった。そして、何よりもバレエという芸術に自分自身を捧げようとするニナの姿勢が他の誰でもない自分自身を追い詰めてゆくのだった。

 

高い目標を持ち、それを達成すべく日々努力することは、個人の成長にとって大切なことには違いない。しかし、「完璧」にこだわりすぎることで、視野を狭くし、効果より効率を追い求めるなど弊害が出てくることもある。あまりにも細部にこだわり時間をかけすぎてしまったり全体像を見失ったり、予期せぬ失敗や挫折に必要以上にストレスをため込んでしまうこともある。

ネイティヴ・アメリカンは「人間は不完全な生き物である」という教えを、何よりも大事にしている。たとえば、敷物を織る時でもネイティヴ・アメリカンは、わざと一カ所だけ間違った織り方をする。それは、「人間の作るものに完璧はありえない」ということを忘れないためだそうだ。こうした、ネイティヴ・アメリカンの生き方は、私たちに「人間にとって真の美しさ、威厳、思いやりとは何か」ということを教えてくれる。

 

ナタリー・ポートマンは、1日8時間のバレエのレッスンを1年近く続け、9キロの減量を経て撮影に臨み、見事アカデミー賞主演女優賞を獲得した。「あなたは完璧主義者ですか?」と問われた彼女は、微笑みながら「いいえ、私はただ(ダレン・アロノフスキー)監督の思い描く通りの演技をしたいと思っていただけです。私は、完璧主義というより従順なのです」と応じた。

 

吉野弘さんの詩の一節にあるように、私たちは「完璧をめざさないほうがいい/完璧なんて不自然なことだと/うそぶいているほうがいい」のだ。(G)

 

2010年・米・108分・20世紀フォックス映画配給

 

 

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