パリ20区、僕たちのクラス

 

教室の真実

 

教室にあふれる24人の中学生。この子どもたちと話を重ねることによって一人前の大人に育てようとするフランス語教師。生い立ちも肌の色も将来の夢も異なる24人の子どもたちは、携帯電話を教室に持ち込み、注意されるとふくれ、退屈そうにあるいは落ち着きなく授業を受ける。

生きるための言葉を学ぶフランス語の授業。それは、他人とのコミュニケーションと社会で生き抜く手段を身につける時間でもある。言葉の力を教えたいフランス語教師フランソワは、どの子どもにも真正面に向き合い、悩み、葛藤する。一方、多感な子どもたちは、感情をそのまま言葉にし、弾けるように笑い、抑えられない怒りでフランソワに応じる。

220万人の住むパリ市は、ルーブル美術館などがある中心部を1区とし、時計回りの渦巻き状に2区、3区と続き、この映画の題名となっている20区は最東端にある。ローラン・カンテ監督は、少人数のスタッフと3台のカメラを持ち込み、イライラしたり腹を立てたりする子どもたちの落ち着かない姿や大人の入り口で立ちすくむ姿をしっかりととらえる。ケラケラ笑ったり、真剣に議論したり、物おじせずにあるいは恥ずかしげに教師の問いかけに答える姿を映し出す。

といっても、これはドキュメンタリーではない。全く演技経験のなかった子どもたちが1年にわたるワークショップを通して驚くほどに自然な演技を披露する周到に準備されたドラマなのだ。

 

頑な教師フランソワを演じるのは、本作の原作となった「教室へ」の著者であるフランソワ・ベゴドー。実際に中学校で教えた経験を持つ。自身の体験を基に、中学校での1年間を綴ったその小説は、教育現場の現実をセンセーショナルに描き、フランスで耳目を集めた作品だ。

 

子どもたちの中に、アフリカ出身のスレイマンという少年がいる。けんか早く繊細な心を持つマリ共和国からの移住者の息子は、級友に腕の入れ墨を見せびらかし、誰に対しても怒りを抑えることができず、しばしば熱に浮かされたように感情を爆発させるのだった。彼の引き起こす問題が、物語を急展開させてゆくのだが…

 

教室で教師は、その時間に教えるべき内容を終わらせようとする。相手が理解したかどうかに関わらず、準備したことを言い終えるだけで達成される仕事だ。しかし、子どもたちが自らの手で知的な何かをつかむためには、教師が支配的に抑えつける雰囲気の中ではうまくいかない。教師がつくる秩序が子どもたちの自然な言葉を引き出す空気を醸し出さねばならない。フランソワは、子どものざわめきに耳を傾け、子どもの言葉を掘り下げ、子ども自身に考えさせる時間をつくり出す。難しい仕事だ。いつもうまくいくとは限らない。

間違いのない人生はない。間違いを犯さない人はいない。子どもがいて、教師がいて、学校があり、保護者がおり、地域がある。この映画は誰の味方もしない。人は誰も弱い部分を持ちながらキラリと光るところも持っている。そして、寛大なときもあれば狭量なときもあるのだから。(G)

 

 

08年・仏・128分・東京テアトル配給

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