十二人の怒れる男

 

「民主主義」賛歌

 

あなたを含む今まで面識のない12人があることについて議論することになったとしよう。11人は「黒」と言い、あなた一人が「白」と感じている。あなたは、たった一人で11人を相手に自分の意見を堂々と主張できるだろうか。自分の主張を相手方に納得させようと試みるだろうか。数の圧力をあなたが感じ、議論を放棄したならば・・・

シドニー・ルメットが監督した「十二人の怒れる男」は、場所を一室に限定して、12人の陪審員によるある事件の審議を描き出す。

 

ニューヨークの法廷で殺人事件の審理が終わった。被告はスラム街に住む18歳の少年。日頃から不良といわれ、飛び出しナイフで実父を殺した容疑だった。陪審員たちが評決のため陪審員室に引きあげてきた。夏の暑い日で彼らは疲れきっており、早く評決を済ませ家に帰りたがっていた。

事件は単純明快のように見えた。被告のアリバイはあいまいで、彼が失くしたとするナイフは殺人現場から見つかった。叫び声を聞いたもの、殺人を目撃したもの、その少年が逃げていくのを見たものがいる。11人の陪審員は即座に有罪に票を投じた。無罪は陪審員8番(ヘンリー・フォンダ)ただ一人。それも、最初は「もっと議論がしたい」という理由からだった。物語は、先入観、事件の背景、さまざまな人格が織り成す人間模様を描写していく。そして、8番の陪審員が主張した「無罪」の評決が妥当なものであることが浮き彫りにされていく。

議論が繰り広げられる。タバコが喫われる。凶器が検証され、殺人現場の図が描かれる。そして、先入観と偏見が暴かれていく。確信に満ちた意見がたじろぎ、ひっくり返される。声が荒げられ、時が刻まれる。スラム出身の少年の運命は徐々に「無罪」へと傾いていく。

陪審員8番が訴える、「偏見や先入観を持たずに物事を考えることは難しい。先入観が真実を見る目を曇らせる。真実はわからない。誰にもわからない。私たちのうち9人が無罪だと感じている。しかし、私たち9人は可能性にかけているだけだ。間違っているかもしれない。罪を犯した男を社会に戻そうとしているのかもしれない。誰にも本当のところはわからない。だが、私たちは疑問を感じている。確信もなく人の命は裁けない。あなたたち3人がなぜそんなに自信を持って有罪とするのか理解できない。あなたたちの話を聞きたい。」

 

納得できる意見を持つこと。納得いくまで議論し尽くすこと。当たり前のようで、なかなか実践されていないことの大切さをこの作品は提起してくれる。半世紀近い時間が経っても未だに色あせないテーマをこの映画は持ち続けている。

 

さて、日本の裁判員制度はどうなっていくのだろう。議論をしていくとき、たった一人で反対意見を主張することは、この社会では難しいことかもしれない。日本の社会が異質なものに寛容になっていくには、まだまだ時間がかかりそうだ。一人一人が自分の意見を主張し、お互いに相手の言い分を認めながら堂々と議論をたたかわせる土壌を私たちの社会は持っているだろうか。あなたは、11人という数の圧力を感じることなく、民主主義を貫き通す勇気を持っているだろうか。(G)

 

57年・米・96分・松竹セレクト配給

 

 

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