さよなら。いつかわかること

 

先延ばし

どうしてもやりたくないことをぐずぐずして、いつかはしないといけないとわかっていながら意図的に遅らせることを「先延ばし」と言う。するべき行動に背を向ける。それは、その行動に苦痛あるいは不快が伴う場合が多い。

 

「さよなら。いつかわかること」という映画は、あまりお金のかかっていない柔らかな雰囲気の作品である。イラク戦争に悶える現代アメリカのある家族を繊細に描いたものであるが、そこには悲劇のもたらす号泣もなく、かといって突き放したような描写でもなく、熱狂的な愛国主義にも触れず、冷ややかでもなく感傷的でもない。しかし、間違いなく物語に引き込まれていく作品である。

 

登場人物は、父と二人の娘。そのさりげない演技に自分が5人目の家族ではないかと勘違いしてしまうほどだ。量販店で働く父親スタンリーと12歳の娘ハイディと8歳の女の子ドーンは、イラクで兵士として働く母親の安否を気遣いながら暮らしていた。家族の約束は、「イラク戦争の戦況を伝えるテレビニュースは見ない」こと。しかし、心配になるハイディは、時々父親の目を盗んではチャンネルを合わせていた。そしてドーンは、母親と同じ時間に時計のアラームを鳴らす約束をし、その時刻になると目を瞑って母のことを考えるのだ。

 

そんなある日、家に一人で居たスタンリーのもとに母親グレイスの戦死の知らせがもたらされる。ショックを受けたスタンリーは、学校から戻ってきた娘たちにどう伝えたらよいのかわからないまま、「先延ばし」という方法を選ぶ。ドーンが勢いで言った「“魔法の庭”に行きたい」という要望に、父親も勢いで「よし、じゃあ行こう!」と応え、はるばるミネソタ州からフロリダにある遊園地までの自動車による親子三人の旅が始まる。

 

スタンリーもかつては愛国心に満ちた軍人であり、今もアメリカの正義を信じ、イラク戦争にも賛成の立場をとっている。しかし(だからこそ?)、子どもたちに伝えることができないほど妻の死に動揺し、自分自身でそれを受け入れることができないでいる。この物語が描くのは、政治やイラク戦争をめぐる論争などでなく、身近なものを失ったものが経験しなければならない内なる闘いだ。

 

誰にでも訪れるはずの「死」という平等は、しかし不平等にやって来る。そのやるせなさに「夢ではないのか」「嘘ではないのか」と認めたくない気持ちになる人も数多い。「なぜ彼女(彼)が死ななければならないのか」と憤る感情を持つ人もあれば、「何かにすがりたい」という心理状態になる人もいる。絶望と悲哀で何も手につかなくなる状態を乗り越えて、人は死を受け入れることができるのだという。

 

父親スタンリーがとった「先延ばし」という選択を、果たして死んだグレイスは(もし生きていたら)支持してくれただろうか?そして、二人の娘たちは?答えはわからない。しかし、旅の途中、父娘三人が手をつないで歩く姿はほのぼのとして、観ているこちらにもその手のぬくもりが伝わってきた。(G)

 

07年・米・85分・メディアファクトリー配給

 

 

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