フルメタル・ジャケット

 

弾丸が撃ちぬくもの

 

スタンリー・キューブリックという著名な映画監督がいる。「博士の異常な愛情(1964年)」「2001年宇宙の旅(1968年)」「時計じかけのオレンジ(1971年)」「シャイニング(1980年)」「アイズ・ワイド・シャット(1999)」などの名作を遺しているが、常に完璧主義を貫き、どの作品も話題になった。

彼が1987年にヴェトナム戦争を題材にして撮ったのがこの「フル・メタル・ジャケット」。意味は「被覆鋼弾」すなわち、貫通性の高い通常の弾丸。弾芯の鉛を銅などで覆った弾のこと。天才と呼ばれた映画監督が他の媒体では伝えきれないものを私たちに示してくれた作品と言える。

「フル・メタル・ジャケット」が他のヴェトナム戦争を題材にした映画と違うのは、まず登場人物も観客も新兵の訓練所に入れられるということだ。平凡な若者たちが「殺人機械」へと変貌していく様が描かれる。何と言っても訓練教官の発する台詞が強烈である。鬼教官を演じるリー・アーミーは、最初は技術顧問として参加した実際の元教官だそうな。まさにマシンガンのように飛び出てくる卑猥で暴力的な言葉の過剰さは喜劇のようでもある。観ているほうもこの鬼教官に怒鳴られているかのような映像体験ができるほどだ。

 

後半は、舞台をヴェトナムの戦場に移す。主人公のマシュー・モディンは、訓練所を出た後、軍の新聞記者として働くことになる。決して大々的な戦闘シーンが描かれるわけではないが、戦場で闘う若者たちのジレンマと絶望感に戦争が人間にもたらす非人間性を否が応でも感じてしまう。

戦争を扱った他のどの映画より戦争の複雑さを描き出した作品と言える。そして、私たちが行き着く結論は、倫理的な板ばさみ状態から抜け出す唯一の道は善悪の判断を捨て去るということだ。キューブリック監督のブラック・ユーモアと繊細で確かな目によって作られた感情を絞り出すような体験を味わってもらいたい。

 

この映画で鮮烈に印象に残ったのは、鬼教官の使う卑猥で攻撃的な言葉の数々である。ここで言葉の使い方の大切さをあえて繰り返す必要もないが、江戸時代の隠遁僧良寛の心おぼえ「良寛戒語」をご存知だろうか。彼は「自分は貧しい修行僧なので、人には何もあげることができない。ならばせめて自分の口にする言葉は、あたたかく勇気や元気をあげられるような言葉だけを使いたい」と決めていたそうだ。

言葉の多き/口の早き/話の長き/問わず語り/差し出口/手柄話/自慢話/人のもの言いきらぬうちにもの言う・・・と始まる戒めは、現代に生きる私たちにとっても貴重な指針になるものである。

人の話をさえぎったり、かわりにしゃべったりする。でも、自分ではそのことに気づいていない。そんな人が案外多いのではないだろうか。逆に、人の話を最後まで「うん、うん」とじっくり聴いてあげることは、話し手にあげる最高のプレゼントになる。

相手の話がすっかり終わるのを待ってから、こちらの話を始めること。そういう習慣をつけていくこと。相手の気持ちを和らげ、なごやかな会話を作り出すうえでとても大切なことだと思う。

「お前たちが言葉を口にするのは、話しかけられたときだけだ。その汚い口から出る最初の言葉は”Sir(上官殿)”、そして最後の言葉も”Sir(上官殿)”だ。ウジムシどもわかったか!」と毒を吐く鬼教官を反面教師ととらえたい。(G)

 

87年・米・116分・ワーナー映画配給

 

 

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