リトル・ダンサー

 

夢をあきらめないで

 

子どものころ、母親から「ピアノを習いたいなら、習わせてあげるよ」と言われ、本当はちょっとだけやってみたかったのだが、「ピアノなんて女の子がするものだ」という考えが頭をよぎり、「いい・・・」と答えた。今、とても後悔している。

 

「ジェンダー」という言葉が日本に入ってきてずいぶんになる。生物学的な性別を示す「セックス」に対して、は社会的・文化的に形成される性別のことで、作られた男らしさ・女らしさのことを言う。「ジェンダー・バイアス」とは、その性差が生み出す偏見や先入観のことである。「ジェンダー・フリー」とは、その性差別の克服を目指し、だれもがありのままの自分を生きられる社会の提案である。

「女のくせに」とか「男なんだから」という社会からの抑圧が、私たちに自分の内なる力を見えなくさせたり、他者への偏見や先入観を抱かせたりしていることが問題とされてきた。

 

「リトル・ダンサー」は、ビリー・エリオットという男の子が、バレエを習いたいという話。ビリーの父親は、イギリスの炭鉱で働く「男らしい」男。「バレエなんて女の子がするもの。男ならボクシングに決まっている」という考えの持ち主だ。

時は1984年、ストライキに揺れるイングランド北部の炭鉱町。炭鉱労働者の父と兄をもつビリーは、ボクシング教室に通う11歳。ある日、偶然目にしたバレエのレッスンに強く心を惹かれ、恥ずかしい気持ちもありながら、厳格なウィルキンソン夫人のクラスに唯一の男の子として加わった。

「男のバレエ・ダンサーなんて同性愛者に決まっている」と考えていたビリーの父親の劇的なまでの変化が見どころである。「息子の夢のためなら、たとえ仲間を裏切ろうともかまわない。この子が本当にやりたいことをやらせてあげたい」と思うようになった父親は、もはやジェンダーにとらわれていた頑固親父ではなくなっていた。

ウィルキンソン先生の期待を背負って、ロンドンの名門、ロイヤル・バレエ学校のオーディションを受けることになったビリー。さて、彼は果たして合格できるのか?

 

「ピアノ=女の子がするもの」という偏見は、子どものころの私の個人の問題でなく、社会の中で培われた印象が子どもの心を毒していたからに違いない。だれもがありのままの自分を、そしてありのままの他者を受容できる社会を実現していかなければならない。多様性社会の実現に向かっていかなければならない。

あの時、「うん」と言っていたらなあ。今頃は世界中を飛び回る著名なピアニストになっていた可能性も・・・・・・ないとは言えないでしょう?(G)

 

2000年・イギリス・110分・日本ヘラルド映画

 

 

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