レインメーカー

 

初心忘るべからず

「初心忘るべからず」誰もが知っているこの言葉を、いったい何人の人が本当の意味で心に留めているだろうか?初々しさと熟練の違いは何か、未経験とマンネリの距離はどれくらいあるのだろうか。努力する事を忘れ、勉強する事を忘れ、感謝する事を忘れ、感動する事を忘れていく人間の悲しい性を、少しだけ考えさせてくれる映画がある。それが「レインメーカー」だ。

レインメーカーとは「雨のごとく金を降らせて成功する弁護士」という意味。人気作家ジョン・グリシャムの原作を、フランシス・F・コッポラ(「ゴッド・ファーザー」)が監督した法廷ドラマだ。マット・デイモン扮する若き理想に燃える弁護士が、あふれる正義感を発揮し、周囲に支えられながら巨悪と対決する。

ルーディ・ベイラー(マット・デイモン)は、白血病の青年に保険金支払いを拒んだ保険会社への賠償請求訴訟に出会う。悲しみに打ちひしがれた青年の母親を不憫に思い、また、保険会社の彼女に対する人情味のない対応に怒りを覚え、この訴訟を引き受けることにする。

ルーディの初めての裁判の相手は、保険会社お抱えの独善的な弁護士集団であった。そのグループのリーダーはドラモンド(ジョン・ヴォイト)、極悪非道ではあるが、裁判には通じている。圧倒的に不利な状況の中で、ルーディの悪戦苦闘が始まる。

若者の純粋な使命感が、欲に汚れた大人の傲慢を打ち砕く。デイモンの若々しい演技が映画にあふれんばかりの活力を与えている。さらに、虐待されている若い人妻への同情が、物語にロマンスの要素を加えていく。そして、もうひとつ忘れてならないのは、ダニー・デビートの巧さだ。今回の役はルーディをサポートする事務員。見た目は頼りにならないお調子者。しかし、長年の知識と経験を生かし、ルーディのピンチを救う。

 

「初心忘るべからず」という言葉は、もともと能の世阿弥が言ったものである。実は「初心」とは、物事のやり始めを表す言葉ではない。数え年七歳で始まる能の修行が二十四、五歳で生涯の芸能が定まる初めとなる。このころのことを「初心」と呼んだのである。

世阿弥は、上手になりはじめたころが最も危険な時期だと見ていた。まわりから誉めそやされるままに自分の実力を過信し、せっかく咲き誇った花を枯らせてしまう。その花の種を取り、さらに優れた花を咲かせることが大切だと説く。それが「初心忘るべからず」ということの意味である。自分の進むべき道が定まり、自信が生まれたときに油断が生じるという指摘は、発達が子どもだけのものではなく、大人にとっても大事なものであることを教えてくれる。

 

この映画が素晴らしいのは、ルーディが、やり手の弁護士ではないところかもしれない。どこにでもいる若者なのだ。自分は本当に弁護士としてやっていけるのか、やっていこうとするのかさえ自問自答するほどの初々しさが物語を観る人の同情を引く。

傲慢にならない薬、どこかに売ってないかなあ。(G)

1997年・米・135分・ギャガ・コミュニケーションズ=ヒューマックス・ピクチャーズ配給

 

 

↑Page top